鎮座地 |
〒807-0821 福岡県北九州市八幡西区陣原5-10-64
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電話 |
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旧社格等 |
村社 |
御祭神 |
・武内宿禰命
住吉三神(・底筒男神 ・中筒男神 ・表筒男命 )
志賀三神(・底津綿津見神 ・中津綿津見神 ・表津綿津見神 )
・大國主神 ・事代主神
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御由緒 |
旗頭神社由緒
創建 大永二年(1523)
祭神 武内宿祢
志賀三神、住吉三神
大国主命、事代主命
麻生興春神霊
二千余年の昔応神天皇は武内宿祢に筑紫路の人民視察を命ぜられた。命を奉した武内宿祢が洞の海を過ぎるとき西北の方に怪しい声がするのでこの地に陣を構え警戒を厳にした。
陣原の地名はこれによると言い伝えられている。
明応 永正の頃(1492~1520年)、黒崎花尾の城主として遠賀一円を領有していた麻生興春が花尾城から山鹿城へ移るとき、陣原の里でしばしいこい、この亀山の地は殊の外眺めがよく花尾の本城も望むことができる。没後はこの地に葬むるよう家臣に言い遺して旗を指し立てて標とした。
大永二年(1523)興春の遺志によって旗指神社が創建された。
慶長十一年(1606)黒崎城山の城主井上之房は、敬神の念が篤く特に武内宿祢の徳を敬慕していたので社殿の再興が行われ、之房が住まいを陣原に移す頃、旗頭社と呼ばれ陣原の産土の社として広く尊崇された。
その後長年の風雪と共に老朽も加わったので幾度か加修改築が行われたが文久二年(1862)の社殿造営で今日に至った。
旗頭神社奉賛会
(境内案内板より)
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参拝月日 |
05/28/2005 |