御由緒 |
御由緒
稱号 風浪宮
縁起
神功皇后の三韓御親征の砌、少童命の御神徳による開運と航海安全の御加護とを多として、皇后の勅命により時の海上指揮を仕え奉った阿曇磯良丸をして少童命を祀らしめ、承和年間に左右三神を配して、風浪大權現風浪将軍、後に風浪宮と稱号す。
祭神
住吉大神(すみよしおほかみ)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
少童命(わたつみのみこと)
高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)
境内末社 松風稲荷神社 他九社
重要文化財 三間流造本殿一棟
五重塔(正平塔)一基
(社頭由緒碑より)
本宮は神功皇后が新羅親征よりの帰途(西暦一九二年)軍船を筑後葦原の津(大川市榎津)に寄せ給うた時、皇后の御船のあたりに白鷺が忽然として現われ、艮(東北)の方角に飛び去りました。
皇后はその白鷺こそ我が勝運の道を開き給うた少童命の御化身なりとして白鷺の止る所を尾(つ)けさせられ、其地鷺見(後の酒見)の里を聖地とし、武内大臣に命じて仮宮(年塚の宮)を営ませ、時の海上指令であった阿曇連磯良丸(あづみのむらじいそらまる)を斎主として少童命を祀りました。(旧暦十一月二十九日)
古来より風浪の灘を守護し給うにより風浪を社号とし代々の久留米有馬藩主の崇敬厚く国司賢将始め筑後一円の信仰をあつめ、俗に「おふろうさん」と呼び親しまれ西海大鎮守として千八百余年の由緒をもつ著名の大社であります。
(参拝のしおり)
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