御由緒 |
古熊神社(ふるくまじんじゃ) 〔通称 てんじんさま〕
祭神 (主祭神)菅原道真公
(配祀神)菅原福部童子
由緒沿革
平安時代の延喜元年(901)、菅公御子福部童子が、父君追慕の念にかられて太宰府へ下向の途次
、山口にて薨去せられたので、当地の甘露院に祠堂を設け奉祀する。
南北朝時代の応安六年(1373)、大内弘世卿が京都北野神社より、菅公の分霊を山口北野小路に勧請し、童子を配祀して北野天神山口天神宮と称した。その後神託により長者山の麓、更に御石ノ森に遷祀せられ、江戸時代の元和四年(1618)に、毛利秀就公が現在地に移建して、今天神と称した。
その後明治五年(1872)、現社号に改称する。
明治六年(1873)九月村社に列し、昭和二十六年(1951)、本殿・拝殿共に、国指定文化財となる。
(山口縣神社誌より)
国指定 重要文化財
古熊神社本殿・拝殿
大正六年八月一三日本殿
昭和二四年二月十八日拝殿 指定
山口市古熊一丁目一〇番三号
本社は今から六二〇年余前(応安六年一三七三)に、大内弘世が京都の北野天神を勧請し北野小路にまつっていたものを、元和四年(一六一八)に毛利秀就がこの地に遷宮した。祭神は菅原道真で福部童子を配神としている。
本社殿は室町時代に建立されたものをここに移築したものである。本殿内にある宝殿の板に「天文十六年云々」の墨書があるので、本殿の建立もその頃と考えられる。
本殿は三間社入母屋造り、拝殿は二重入母屋楼門造りでともに室町時代の様式をよく伝えている建物である。本殿の正面にある三つの蟇股にそれぞれ松竹梅の彫刻が見られるが、これはわが国で建築の装飾に松竹梅の組み合せをとりいれた最も時代の古いものとして有名である。
社宝として重要文化財「紙本墨画天神図(昭和四八・六・六国指定)」がある。
本社の例祭は、一一月二五日で、二十三日からの神幸式には大拝司、花神子参向の古式神事が執行され、山口天神祭と称されている盛大な祭りである。
山口県教育委員会
山口市教育委員会
(境内案内板より)
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