御由緒 |
当社は縁起書等の伝来がなく、沿革については定かでない。しかし、室町時代の弘治三年(一五五七)と江戸時代の寛政十一年(一七九九)に支配所に届出した由来書には、「右当社は神亀元年(七二四)宇佐八幡宮勧請と申し伝え候事」とある。
当社に現存の明治三年(一八七〇)作成の『別府八幡宮・天満宮・山王宮由来記』には、「神護景雲四年(七七〇)九月和気清麻呂公が当社地に勧請」とも記されている。
旧本殿は南北朝時代の永和二年(一三七六)に改築、江戸時代の寛文八年(一六六八)の修理と伝えられる。
現本殿改築の際遷宮殿とされた旧拝殿は、天保八年(一八三七)の改築、大正十三年(一九二四)に屋根を藁葺より銅板葺に改めた。現拝殿改築の際に、現地に移動して遷宮殿とした(旧村社)。
(山口縣神社誌より)
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