御由緒 |
御祭神
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
塩筒大神(しおづつのおおかみ)
御祭神系譜
天照大神―天忍穂耳命―瓊々杵命
彦火火出見命 (青島神社御祭神)
鸕鷀草葺不合命 (鵜戸神宮御祭神)
神武天皇 (宮崎神宮御祭神)
御由緒
天孫瓊々杵命の皇子彦火火出見命が、海積宮から御還幸の際の御宮居の跡として三神を奉祀し御神威を今日に伝えている。奉祀の年代は明らかでないが、国司巡視記「日向土産」(平安朝)に「嵯峨天皇の御宇奉崇青島大明神」と記されてあったといわれ(約千百九十三年前)、文亀(室町時代・約五百年前)以降は、藩主伊東家の崇敬厚く、社殿の改築、境内の保全に力を尽し、明治以後は御祭神の御威霊を仰ぎ熱帯植物繁茂する国内絶無の霊域をたずねる人々いよいよ多く、縁結・安産・航海・交通安全の神として、御神威は益々輝き今日に至っている。
春祭
旧暦3月16日に古来の慣例に随い『島開き祭』を執行する。往古は他領人の入島を許さず此の『島開祭』から月末『島止祭』(島成就ともいう)まで一般の参島を許していた古例による。常には神職の外は島奉行といって土器席の役人のみ入島し島奉行は島内及び磯辺を監守せしめられた。然し元文二年(1737年)当時の宮司長友肥後が信仰上これを遺憾に思い禁を解かれる事を藩主に請願、同年5月23日許可されてからは諸国の信徒が自由に参拝し得るようになった。渡島を禁止されていた時は尖浜に拝所を設けて遥拝させたものである。
夏祭(御神幸祭)・・・海を渡る祭礼
旧暦6月17・18日の両日行なわれる。17日早旦に出御祭を執行し、祭典後神輿の渡御があり、対岸折生迫を巡幸、白浜から漁船に神輿を乗せ島を一廻りして尖浜(青島海水浴場)に上陸休憩後又船で島を廻って折生迫漁港に着き、御仮泊所に入られ、翌18日還幸される。神輿の渡御は古くから行われていたが、海上渡御は昭和23年初めて行われた。御祭神の古事を偲び、海積宮に御祭神を御連れ申上げ、御神慮を慰めたいとの氏子漁民の発意でこの行事が行われるようになり、満船飾をした漁船数十艘が御座船を先頭に列をなして進む状は偉観を呈し遠近よりの奉拝者が尖浜に溢れ、青島神社祭礼での最も賑かな祭となった。
秋祭(例祭)
10月18日に執行され氏子は近隣の親類縁者を招いて饗応し、神徳を称え、相互の縁を深めた。現在でも当日は、同年講といって男女同じ年の者が酒宴を張り、幼時をしのび語り合う日である。
冬祭(裸参り)
旧暦12月17日に裸参りが行なわれる。当夜参拝すれば、千日に易うると伝えられている。(現在は1月15日に行なわれる)この日は夜半から起きた近郷近在の若い男女が夜を徹して、真裸で神社に参拝するもので、昔はその沿道から神社境内まで、これらの男女と参拝者で雑踏していた。近時は寒風をつき、氏子青年や一部の信者が、社前の海水に浴して静かに祈願するような形に変わってきている。
この風習は大昔、彦火火出見命が、にわかに海神国から帰国された際、村の人々は衣類をまとう暇もなく、赤裸の姿で取り急ぎお迎えしたという故事から起こったもので、相当古くから行われている。
御境内
周囲約1,000m 面積13,479坪 全島青島神社所有地
(神社パンフレットより)
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