鎮座地 |
〒827-0003 福岡県田川郡川崎町大字川崎3868 旧豊前国 田川郡 |
電話 |
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旧社格等 |
村社 |
御祭神 |
・瓊瓊杵尊 ・太玉命 ・兒屋根命 ・彦火火出見命 ・豐玉姫命 ・玉依姫命
・彦五瀬命 ・稻飯命 ・三毛入野命 ・磐余彦命 ・鵜草葺不合尊 |
御由緒 |
創立孝昭天皇四十九年秋、明治六年七月九日村社に被定
当社は景行天皇長峽の都に在す時尊崇ありて祭社の矩を立給日、祭祀料として田地巨多寄付あり。而して佛法皇国に入り欽明天皇丁酉の年諸国宮寺を造立す。其時当社にも仏を安置し追々両部の方行はれ密嚴寺・天台大日寺・眞言大聖寺・眞言薬師如来寺・天台東蓮寺・天台西山寺・真言六ケ寺造立神官四官にて両部を以て神事祭祀等行ひ来りしを大友宗麟の兵火に消失す。因って今は宮寺の遺跡地名に存するのみ。是に於いて里人本社の廢亡を歎き天正八年九月今の社地へ宮殿を再興せしとなり。
(平成祭データ)
天降神社
祭神
第一殿 天降神 鵜葦草葦不合命
第二殿 彦炎出見尊 天降神の父(天孫瓊瓊杵尊御子)
第三殿 豊玉媛命 天降神の母
第四殿 玉依媛命 天降神の妻
第五殿 彦五瀬命 天降神の第一子
第六殿 稻飯命 天降神の第二子
第七殿 三毛入野命 天降神の第三子
第八殿 磐余彦命 天降神の第四子 神武天皇
第九殿 海若宮主神 天降神の祖父
由緒
創立・・人皇五代孝昭天皇四十九年(前二十六)の秋、
景行天皇(七一ー一三〇)長峽の都に在すとき崇敬があり祭祀料として多額の田地の寄進をうけた。人皇三十五代舒明天皇(*註1)(六??)のとき密嚴寺(天台)大日寺(真言)大聖寺(真言)薬師如来寺(天台)東蓮寺(天台)西山寺(真言)六か寺を神職四家で神事祭祀等行っていたが大友宗麟の兵火にて焼失した。天正八年(一五八一)九月今の社地へ宮殿を再建棟札には「再建寛文十一年(一六六一)(*註2)四月十三日小笠原家士(中老)大羽内蔵助政明とある。
扁額「阿満降大明神」筆者不詳。
(社頭由緒掲示板より 原文のとおり)
*註1:人皇三十五代舒明天皇とあるが舒明天皇は34代
また福岡縣神社誌には「欽明天皇丁酉の年諸国宮寺を造立す、、」とあり疑問である。
*註2:寛文十一年(一六六一)は1671年
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参拝月日 |
02/11/2008 |