阿川八幡宮(あがわはちまんぐう)                  HOME   blog 

鎮座地 〒759-5241 山口県下関市豊北町大字阿川3710 旧長門国 豊浦郡  
電話  0837-86-1309
御祭神  ・應神天皇
 ・仲哀天皇
 ・神功皇后
旧社格等   郷社 
御由緒  由緒掲示板
一、神社名  阿川八幡宮
二、鎮座地  山口県豊浦郡豊北町大字阿川三七一〇番地
三、御祭神  仲哀天皇 應神天皇 神功皇后
四、例祭日  十月十五日(秋祭) 四月四日(春祭)
五、由緒
  ■創立年月日 弘長年中(鎌倉時代)と伝う。
  ■沿 革
   此の村は中世から海上交通・産業安定の地として知られ、村の開発とともに沖田の現在地に
  八幡宮が勧請された。領主は鎌倉末期から阿川氏三家が代々あり、のちに大内氏・毛利氏の崇
  敬があった。社家には伊藤家(旧姓今川)と静間家があり名夫による宮座があった。
  宮座は七人衆・十二人衆と呼ばれ、御神事に供奉し、正月には歩射を勤めた。のちには警護と
  称し、土井の衆が神饌の調理や神役を勤めた。神輿は古くから浦の衆が舁いだ。
  現在の祭組に花前がある。
  ■修 造
   弘長と応永の年に社殿再建の棟札があったと伝えられ、のちに慶長十八年に毛利元鎮・元包
  (のちの吉敷毛利)が再建し、万治二年に毛利就方、寛保二年に毛利広規、弘仁二年に毛利親
   倫(いづれも阿川毛利)が重修した。又、明治十七年に現拝殿を再建した。
  ■崇 敬
   吉敷・阿川両毛利氏が崇敬を重ね、例祭には名代が参籠した。特に一門の大事には願文を奉
  り、鳥居・鎧・太刀・額・社領等を寄進した。また、領民は雨乞・虫除け等には御神幸を行い
  、二百十日・田植等にはお籠りを行った。例祭や願成就には歌舞伎・操芝居・角力・腰輪踊等
  が奉納された。
  ■維 持
   神殿の造修は領主が行い、拝殿の造修は氏子が負担した。祭典は領主と庄屋の沙汰によって
  行われ、その都度米や紙などの現物が支給された。そのほか領主は年間祈祷料を捧げ、庄屋は
  例祭前に湯立米や、春籠米を徴収した。
  ■社 領
   中世からの社領の地名に、土器免・修理免・鐘撞免・油田・粢田・桟敷田等があり、文禄頃
  までは社領が八石前あった。その後減少したが、開作による寄進田等もあって、幕末には田八
  段三畝、高六石三斗があったが、明治のご改正によって没収された。
六、境内神社  天満宮(赤崎社・土井社・合祀)
       祭神 菅原大神・宇迦之御魂神・日吉大神
        祭神由緒
       天満宮は地主の神として、八幡宮以前より鎮座。
       赤崎社は永正十二年、防州または伯州より野地に勧請と伝える。明治四十年現在地
       に移築した。
七、文化財  江戸家文書三巻(町指定文化財)
       河内のかんこ踊り(町指定文化財)
       阿川八幡宮のイヌマキ巨樹群(県指定文化財)
 (社前由緒掲示板より)
参拝月日  08/25/2007

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境内入口の鳥居 社殿全景