御由緒 |
由緒掲示板
一、神社名 阿川八幡宮
二、鎮座地 山口県豊浦郡豊北町大字阿川三七一〇番地
三、御祭神 仲哀天皇 應神天皇 神功皇后
四、例祭日 十月十五日(秋祭) 四月四日(春祭)
五、由緒
■創立年月日 弘長年中(鎌倉時代)と伝う。
■沿 革
此の村は中世から海上交通・産業安定の地として知られ、村の開発とともに沖田の現在地に
八幡宮が勧請された。領主は鎌倉末期から阿川氏三家が代々あり、のちに大内氏・毛利氏の崇
敬があった。社家には伊藤家(旧姓今川)と静間家があり名夫による宮座があった。
宮座は七人衆・十二人衆と呼ばれ、御神事に供奉し、正月には歩射を勤めた。のちには警護と
称し、土井の衆が神饌の調理や神役を勤めた。神輿は古くから浦の衆が舁いだ。
現在の祭組に花前がある。
■修 造
弘長と応永の年に社殿再建の棟札があったと伝えられ、のちに慶長十八年に毛利元鎮・元包
(のちの吉敷毛利)が再建し、万治二年に毛利就方、寛保二年に毛利広規、弘仁二年に毛利親
倫(いづれも阿川毛利)が重修した。又、明治十七年に現拝殿を再建した。
■崇 敬
吉敷・阿川両毛利氏が崇敬を重ね、例祭には名代が参籠した。特に一門の大事には願文を奉
り、鳥居・鎧・太刀・額・社領等を寄進した。また、領民は雨乞・虫除け等には御神幸を行い
、二百十日・田植等にはお籠りを行った。例祭や願成就には歌舞伎・操芝居・角力・腰輪踊等
が奉納された。
■維 持
神殿の造修は領主が行い、拝殿の造修は氏子が負担した。祭典は領主と庄屋の沙汰によって
行われ、その都度米や紙などの現物が支給された。そのほか領主は年間祈祷料を捧げ、庄屋は
例祭前に湯立米や、春籠米を徴収した。
■社 領
中世からの社領の地名に、土器免・修理免・鐘撞免・油田・粢田・桟敷田等があり、文禄頃
までは社領が八石前あった。その後減少したが、開作による寄進田等もあって、幕末には田八
段三畝、高六石三斗があったが、明治のご改正によって没収された。
六、境内神社 天満宮(赤崎社・土井社・合祀)
祭神 菅原大神・宇迦之御魂神・日吉大神
祭神由緒
天満宮は地主の神として、八幡宮以前より鎮座。
赤崎社は永正十二年、防州または伯州より野地に勧請と伝える。明治四十年現在地
に移築した。
七、文化財 江戸家文書三巻(町指定文化財)
河内のかんこ踊り(町指定文化財)
阿川八幡宮のイヌマキ巨樹群(県指定文化財)
(社前由緒掲示板より)
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