伊賀國一の宮「式内社」敢國神社(あえくに) HOME blog

鎮座地 〒518-0003 三重県伊賀市一之宮877 旧伊賀国 阿拝郡    
電話  0595-23-3061 
旧社格等  国幣中社 (現別表神社)
 伊賀國一の宮
 式内社 伊賀國阿拝郡 敢國神社 大      
御祭神  ・大彦命
 ・少彦名命
 ・金山媛命
 (配祀)
   ・九所社  ・六所社 
御由緒  一宮敢国神社略記

御祭神
   大彦命 少彦名命 金山比咩命
御神徳
 大彦命は第八代孝元天皇の第一皇子にましまして東北未開の地を教化の後、一族を率ゐてこの地に永住し給ひ、伊賀の国の開発に尽し給うた。伊賀開拓教化の祖神と仰ぎまつる所以である。
その後裔は阿部・阿閉・敢・名張・伊賀等を氏として諸国に繁栄し、世にアベ姓を称するものの総祖神にまします。殊に交通安全、健康長寿、児童愛護等の御霊徳を有し給ふ神にまします。

 少彦名命は造化の三神である産霊神の御子神として神功の最も霊異なるによって普く知られ、大国主命と力を協せて国土経営に当り給ひ人畜救護の為に医薬・温泉・禁厭の法を創め酒造の道を開き給ふ等其の恩沢に浴するもの万世に尽くることがない。世に『ゑびす様』と称し商売繁昌、大漁満足、五穀豊穣の守護神にまします。だいこく様と共に福の神様として広く崇敬せられ神助を仰がるるも亦斯る霊験ましますが故である。又、縁結び、安産の守護神として神社に縁結社、桃太郎岩の霊巌が祭祀されている。

 金山比咩命は御名の如く金の神にましまして金銀銅鉄の本質及び其の運用を主宰し給ふ。即ち採鉱・冶金・機械工業其の他金属に関係ある一切の事柄に霊験を垂れ給ひ、人類生活の幸福利益を守護し給ふ。伊邪那美命の神々を産み給ひし時火の神の次に成りませる神にまします。

沿革
 当社は古来伊賀の一宮として、朝野の崇敬頗る篤く、殊に当国の人々は総鎮守大氏神と仰ぎまつって其の霊徳に浴して来た。創立年代は詳でないが貞観の頃既に神階五位を授けられ、延喜の制には大社に列せられた。延長年間には朝廷から社殿が修造せしめられ、南北朝時代には、後村上天皇行幸ましまして数日間御参篭あらせられ、社領の御加増もあった。
 天正年間兵燹に罹って一時荒廃したが徳川時代になって藩主藤堂家から社殿調度の修営・神器社領の寄進・祭儀神事の復興等が行はれ尊崇極めて深かった。明治四年五月国幣中社に列せられたが昭和二十一年二月官制廃止によって国家の管理を離れ現在は宗教法人として神社本庁に所属し氏子崇敬者によって維持経営されることになってをる。
丹塗の御殿は朝日夕日に映じ御神光燦として輝き神域の尊重さと祭神の御加護にその霊徳の尊さを伺はせしめられます。

御祭典
 毎月一日 月次祭  四月十七日 春祭  十一月二十三日 秋祭
 十二月四日 神幸祭  十二月五日 例大祭
 古来例祭は 伊賀のおんまつり と称し遠近からの参拝者が多く大祭中最も盛な御祭である。

獅子神楽
 一月三日 初舞祭  四月十七日 舞上祭

史蹟名勝
 南宮山 当社の前方にある高峰で伊賀富士ともいひ、頂上に末社浅間社がある。金山比咩命の旧社地で四季共に眺望佳絶である。
 御墓山 当社の北方約壱粁佐那具町にあって東西約四十五米南北約百米といふ広大な前方後円の古墳である。御祭神大彦命の御陵墓と伝へられてをる。

参拝順路
 関西線佐那具駅下車 約二粁 近鉄線上野市駅下車約四粁共にバスの便がある。
以上
 (平成祭りデータ)
参拝月日  04/02/2009

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大鳥居 拝殿