| 御由緒 |
都々古別神社要覧
御祭神は味耜高彦根命で日本武尊が配祀されている。
味耜高彦根命は御父君大国主命の功業を補翼し東土に下り曠野を拓き民に恩沢をたれ給うたので郷民其徳をしのび当地に奉祀されたと伝えられる。
延喜式内神大社で延喜式神名帳に名神大社奥州一宮と称される。日本武尊強夷征伐の時千度戦って千度うち勝ってがいせんされた御神徳をたたえ、その御神威に感動した八幡太郎義家が奥州征伐の時千勝大明神と改められたのもまことに故あることである。
なお引き続き足利時代に白河結城氏並びに水戸佐竹氏より数度寄進あり、以来豊臣秀吉より直筆、石田三成の書あり、佐竹氏より社頭三千貫並びに書類あり。
後、徳川光圀公の尊崇厚く御神宝の奉納あり社殿修復の際には白銀二百枚を寄進された。又、斉昭公は嘉永六年夷狄退散国家安全を祈ったと伝えられる。交通安全・五穀豊穣・家内安全・商売繁昌祈願の参拝者も多く、奥州一宮として広く知られている。
以上 (平成祭りデータ)
■御由緒
延喜武内社で陸奥国白川郡の明神大社であり、奥州一の宮の旧国幣中社である。
日本武尊の御創建にかかわり、祭神は味柜高彦根尊で相殿に日本武尊が合祀されておる。
伝記によると「日本武尊東夷征討の時高篠山に陣を取り、八満山の夷と戦うこと数度、敵強制にして屈せず、天地神明に祈り給う時味柜高彦根命が現れ、尊を助け、この国を護らんと宣せられ給うよって力を得て一気に夷を討ち平らげた。」とある。
南郷北郷合わせて18郷に近津大明神を通じて農業を殖産した。
■祭礼日
歳旦祭 1 月 1日
節分祭 2 月 3 日
御田植祭 (旧正月6日)
祈年祭 3月1日
新嘗祭 11月23日
例大祭 (12月の第2土・日曜日)
霜月大祭 (12月の第2土・日曜日)
(社頭 八槻都々古別神社 案内板より)
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