蓑島神社(みのしま) HOME blog

鎮座地 〒824-0011 福岡県行橋市大字蓑島字村中200ノ1 旧豊前国 仲津郡  
電話  
旧社格等 村社 
御祭神  ・天照大神
 ・神武天皇
 ・神功皇后
御由緒  本神社の起因は遠く上古神武天皇の御代にありと伝えられている。天皇が日向国より蓑島にお着きなされた時、天照大神を祭られた。後に島民はその行在所に一祠を建てて天皇を奉祀した。
 神功皇后が三韓御征伐の後、長門国から宇佐に渡御の時御船を蓑島に寄せられると島民は平地に紅の幕を張りて厚く歓迎し、後に皇后を奉祀し遂に天照大神、神武天皇、神功皇后の三柱の神を一社に合祀した。本神社を三皇大神宮と称した稱したのである。略して三皇さまと言う。
 天武天皇の時代(約一三〇〇年前)に本宮、中宮、東宮の三大宮殿を建立する。爾後歴世、或は修繕し、或は改築したが、正親町天皇の天正九年(約四五〇年前)火災に罹ったが翌年建立する。後、天正十九年一大宮殿を建てて本宮となし両宮を一社とした。
 東山天皇の元禄十二年(約三〇〇年前)石華表を建立。現今存在している。(道路にある鳥居)
後桜町天皇の明和五年(約二三〇年前)神殿を新築する。現在のものである。銅板の屋根で石段の上にある。
 本神社は豊前小倉藩主小笠原家の深く信仰する神社で代々の藩主は常に御参詣し、国家の隆盛、五穀の豊作、祈雨の祈願をしていたものである。
 (平成祭データ)

   市指定無形民俗文化財(昭和47年7月1日指定) 蓑島百手祭 
 百手祭(ももてまつり)とは弓矢で的を射て吉凶を占い、繁栄を祈る神事である。江戸時代まで各地の神社で行われていたが、明治時代以降次第に減少した。そのなかで、蓑島百手祭は室町時代からの伝統を今に伝え、毎年5月21日の夕刻、蓑島神社にて浄土宗法泉寺・西方寺・浄念寺とともに神仏一体となって執り行われている。
 中世の蓑島は海上交通の要地であった。しかし、室町時代後半の戦国時代、瀬戸内海を横行していた水軍(海賊)が度々来襲して島の安全は脅かされていた。島民は弓術を修め、結束してこれに対抗したといわれている。この祭りは、戦乱の時代に島の平和を願って放たれた百手の矢に由来している。
 祭りは、まず籤弊によって射手となる2名の若者が選ばれる。次に、神社西南にある小祠の前に海賊の目に見立てた巨大な的が2張り用意され、射手は的に向かい矢を2本ずつ射る。命中するとその年の豊漁が約束されるという。続いて子供達により的が壊され、その破片は無病息災を願って家々に祀られる。また、長寿を迎えた夫婦がつくったケーラン団子も奉納される。
 この祭りは、古式な格調を残した貴重な民俗行事である。
                                    行橋市教育委員会
 (社前案内板より) 
参拝月日  03/25/2006

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一の鳥居 拝殿