御由緒 |
度津神社略記
鎮座地‥佐渡市羽茂飯岡550-4 旧社格‥国幣小社
一、御祭神 五十猛命(いたけるのみこと)
一、配祀 大屋津姫命(おおやつひめのみこと)抓津姫命(つまつひめのみこと)
一、由 緒
延喜式神名帳(九二七)の佐渡国の部に度津神社他八社の名が載っており、古くから格式のある神社であったと思われる。
その九社のうち、第一の宮として『一ノ宮』と呼ばれるようになった。初めの鎮座地は現在地よりやゝ川下にあったが(別当屋敷の地名の残っている処か)文明二年六月(一四七〇)、羽茂川の大洪水により社殿並びに別当坊、古文書等悉く流失したため、創立年代等詳らかでない。
その後飯岡村にある八幡宮に合せ祀ったが、やがて現在の地に新しく社殿が建立されると、八幡宮は相殿として祀られるようになり世俗一般に、一ノ宮八幡宮と呼ばれ、八幡宮の行事である流鏑馬も度津神社の例祭に行われるようになった。同時に新たに新倉山弘仁寺の管理する所となり従来の別当坊を廃して神宮寺を開基して、その別当により、以後明治維新に至るまで神仏混淆の時代が続いた。
明治に至り神仏分離となり明治四年五月十四日、国幣小社に列せられた。その折、八幡宮を合祀しておく事が出来ず、同六年八月本社の傍に社殿を新築して遷座し摂社と定められたが、同十年三月摂社の称をも廃せられ末社と称し現在に至る。
一、御祭神の御事歴
御祭神五十猛命は素蓋鳴尊の御子神で、皇祖天照大御神の御甥神で、日本書紀によれば初め天降ります時、父神と共に樹木の種子を持って韓国にお渡りになられたが、韓国に植え尽さず、日本に持ち帰り、筑紫より始めて全国到る処に植林を普及された。その御神功により有功の神とも称され、又妹神の大屋津姫命、抓津姫命と共に植林を広め、その木材による家屋、舟、車等の建築、工業の技術をも盛んにした御功徳によって、またの名を大屋彦命とも申し上げている。又五十猛命と申上げるのは、御父神、素蓋鳴尊の御勇武の血筋を受け継がれ、御勇猛であらせられた事によるものです。又御父神と共に諸国の開拓に赴かれ、且つ御手づから造船にも関わられ航海の術にも秀でられたので、御社号を度津神社とたたえております。
前述の植林と共に道を開き車の普及に当られました御神徳により、現在は陸上、海上の交通安全の守護神と全島より崇められています。
一、御社殿の建立
現在の御本殿は宝永六年六月(一七〇九)に再興されたもので、他の本殿覆屋、幣殿、拝殿、末社等は昭和六年、宮司として任命された金原源太夫の大造営事業の推進によるものであるが、彼はその激職務のため完成半ばにして、同十年惜しくも病に斃れたが、同十二年に台湾産の総槍材を以て御造営は完結された。
現存する最古の棟札としては、正和二年六月十三日(一三一三)と、永正十年(一五一三)の二枚がある。(各れも旧羽茂町文化財指定である)
一、末 社
境内末社 八幡宮…祭神 誉田別尊(合祀 妹背山神宮…祭神豊受大神、稲荷神社‥祭神宇迦之御魂神)
境外末社 事比羅神社(神領妹背山の中腹に鎮座)…祭神 大物主命
一、神 域
羽茂川の清流を前に臨み、妹背の翠轡を左に仰ぎ、老杉古松を被覆となし、自らなる神境をなしている。妹背山は満山桜と楓、春は万朶の桜妍を競い、夏は時鳥の声峡間に谺し、羽茂川の清流に銀鱗の鮎躍り、秋は紅葉、錦繍を織りなして清潤に映え、冬は神域を蔽ふ清雪俗腸を洗うに足り、四季の眺め尽きせぬ処、真に佐渡随一の名勝こそ、佐渡一ノ宮度津神社の神域である。
一、特殊神事
(1)神鏑馬式(普通にヤブサメは流鏑馬と書くが、神社の記録に神鏑馬とあるのでこれに従う。)
末社八幡宮例祭に奉仕する。
この式は羽茂城主本間地頭の奉納によるものと伝えられ、当初は、武者による勇壮な武技として奉納されたものであろうが、いつの頃からか子供によって古式豊に行われる様になった。当日授与する破魔矢は除災防火の信仰があります。
(2)妹背神楽
妹背神楽は一名岩戸神楽又は大神楽ともいわれ、通称「つぶろさし」 と言う。猿田彦の舞に始まり、「つぶろさし」 と獅子舞との三部からなる舞楽である。四百年以上前に羽茂郷を治めていた地頭本間氏の信仰が厚かった当神社に 「つぶろ」
の舞いがあるのは当を得ている。
「つぶろ」とは古い時代の種物入れで、夕顔(ウリ科植物の果実、乾かして中をくりぬいた器)のことである。転じて種の入っているもの、そしてこの地方の方言で、偉大なる男子の性器を意味する様になった。「さし」 は 「さすり」だとの説もある。もともとは、「一粒万倍」 の豊作祈願の奉納芸で、その他に 「繁殖繁栄」の祈りをも兼ねていることは云うまでもない。
舞の構成は、
舞 人 つぶろさし (男 舞) 面をつけ男根を持つ
さゝらすり (女 舞) 面をつけ竹を割って作ったさゝらを持つ
銭 太 鼓 (女 舞) 覆面、銭太鼓を持つ
獅 子 (二人舞) 一匹の獅子
此の舞について明説はないが、木製の男根を操り若き生命力あふれる偉丈夫を中心に、「ささら」を摩って相手の注意を引こうとする身のか弱いしおらしい美女と、顔面を布で包み銭太鼓を鳴らして、肉体美と富とを見せびらかそうとする醜女(不美人)との三者が、恰も三角関係の争いの如く互に舞いすがり、はじき合う原始的な舞いである。この中へ獅子が現れ珍妙な楽奏で舞う。又そこへ、神主が出て、「おさきは伊勢神明天照皇大神宮おあとは、ベズリべズリ弁財天のご開帳」と祝詞をあげ、「はんや、お獅子が起きます」と言うと、獅子は起きて退き、再び三者の急テンポな乱交舞踊となる。
又これは、容姿端艶な木花咲耶比売と、健康そのものであるが醜い磐長比売 二神の天孫降臨にまつわる神話に依るものとも言われている。
◎境内には県博物館認定登録された佐渡市立佐渡植物園が併設してあり、島民が選んだ佐渡百選の一つとして本神社が登録されている。又近くには、羽茂児童遊園、地元の生んだ歌人藤川忠治の歌碑、尾崎紅葉の句碑も見られる。クワテルメ佐渡(温泉施設)、ボアール妹背(佐渡牛のステーキハウス)、ウッドパレス妹背(宿泊施設) などが有る。
(神社パンフレット「佐渡一ノ宮度津神社参拝の栞」より) |