須我神社(すが) HOME blog

鎮座地 〒699-1205 島根県雲南市大東町須賀260 旧出雲国 大原郡 
電話  0854-43-2906
旧社格等  県社 
御祭神  ・須佐之男命
 ・奇稻田姫命
 ・清湯山主三名狹漏彦八嶋野神
(配祀)
 ・武御名方命
御由緒  日本初之宮・八雲立つ  須我神社由緒
一、御祭神  
    須佐之男命すさのおのみこと(古事記名=須佐之男命)
    奇稲田比売命くしいなたひめのみこと(仝=櫛名田比売)
    清之湯山主三名狭漏彦八島野命すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと(仝=八島士奴美神)
   合殿  武御名方命たけみなかたのみこと(仝=建御名方神)
一、由緒
 古事記(和銅五年、西暦七一二年)所載=肥河上で八俣遠呂智を退治せられた速須佐之男命は、宮造るべき所を求めて此処、出雲国須賀の地においでになり、「吾此処に来まして、我が心須賀須賀し」と仰せになって、此地に宮殿を御作りになりましたが、其地より美しい雲が立ち騰るのを御覧になり、「夜久毛多都、伊豆毛 夜幣賀伎 都麻碁微爾 夜幣賀伎都久流、其能夜幣賀伎袁」”八雲たつ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる 其の八重垣を”の御歌を御詠みになりました。
 即ちこの宮が古事記・日本書紀に顕われる日本初之宮であります。そして、ここが三十一文字和歌発祥の地であり、この御歌の出雲が出雲の国名の起元であります。又須佐之男命と奇稲田比売命の間の御子神が清之湯山主三名狭漏彦八島野命で、この三神が当社の主祭神であります。
 =出雲風土記(天平五年、西暦七三三年)では、此処を須我神社、須賀山、須我小川等の名に表現され、風土記抄(天和三年、西暦一六八三年)には須我村とあり須我は広く此の地方の総称であったことがうかがえます。
 須我小川の流域に、曽って十二の村があって、この須我神社は、この地方の総氏神として信仰されていたものであり、また、須我山(御室山、八雲山)の山ふところには巨岩夫婦岩並びに少祠があり、須我神社奥宮(磐座=いわくら)として祭祀信仰されています。
 合殿の武御名方命は、天文年中、当地(淀之荘)地頭職として神中沢豊前守が信州諏訪より来任せられたとき、その氏神武御名方命の神霊を勧請してこの須我神社に合祀し、諏訪大明神として崇敬せられました。以来村名も諏訪村と改められていましたが、明治二十二年、元の地名の須賀に復し現在に至っています。
 明治二十五年十一月八日元の島根県社に列せられました。
なお須我山の主峰八雲山は、眼下に中海や宍道湖を見おろし、島根半島から弓ケ浜、東方遥かには出雲富士(伯耆大山)を望む景勝地で、近年から頂上で盛大に行なわれる歌祭りをはじめ、四季にわたって全国各地から来遊の登山(参拝)者が多くなっています。
 (神社パンフレットより)  
参拝月日  10/20/2008

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境内入口の鳥居 社殿全景