鎮座地 |
〒690-0331 島根県松江市鹿島町佐陀宮内73 旧出雲国 秋鹿郡 |
電話 |
0852-54-0087 |
旧社格等 |
国幣小社(現別表神社)
出雲國二の宮
式内社 出雲國秋鹿郡 佐陁神社 |
御祭神 |
・佐太大神
(配祀)
・伊弉諾尊 ・伊弉册尊 ・事解男命 ・速玉男命 ・天照大神 ・瓊瓊杵尊 ・素盞嗚尊 ・祕説神四座 |
御由緒 |
御由緒
当社は出雲国風土記【天平5年(773)】に「カンナビヤマの麓に座す」佐太大神社或いは佐太ノ御子社と見える古社で、延喜式【延長5年(927年)】には出雲國二ノ宮と称され、出雲國三大社の一つとして杵築(出雲大社)、熊野、鎌倉時代においても杵築、日御碕とともに三大社のひとつとして「佐陀大社」と称えられた御社です。
盛時には神領7千貫・神職224人を有し、年間七十余度祭禮が行われていたと云います。
また、江戸時代を通じて出雲國十郡のうち佐陀触下と呼ぶ秋鹿・島根・楯縫・意宇西半の三郡半の神社を支配下に置く社頭職として、出雲國内でも重要な地位を占めてきました。(他の六郡半は杵築(出雲)大社の支配を受けた)
中世には伊弉冉尊の陵墓である比婆山の神陵を遷し祀った社と伝え旧暦十月は母神である伊弉冉尊を偲んで八百万の神々がお集まりになるとされ、この祭りに関わる様々な神事が執り行われることから「神在の社」とも云い全国各地から広く信仰を集めています。
◙導きの神「佐太大神」
主祭神である佐太大神の「サダ」とは伊予國の佐田岬、大隅半島の佐多岬等の地名にみられる岬の意味で島根半島一円の祖神であり、出雲國における最も尊い四大神の内の一柱であります。
この大神のお誕生秘話は出國風土記に見え、当社から約10キロばかり離れた日本海に面するかか加賀の潜戸(松江市島根町)と呼ばれる神埼の窟に金の弓矢を射ってお生まれになったことが記されています。
佐太大神は世に云う猿田毘古大神であり、除災、招福、長寿の神で、海陸交通守護、地鎮、縁結び、安産の神として人々が日々楽しく豊な生活が送れますように「おみちびき」いただける神です。
◙御祭神
正中殿 佐太大神(猿田毘古大神)
伊弉諾尊 伊弉冉尊 事解男命 速玉之男命
北殿 天照大神 瓊々杵尊
南殿 素盞鳴尊 秘説四座
北殿・南殿末社 早人社
母儀人基社 伊弉冉尊
田中社 東社 磐長姫命 西社 木花開耶姫命
隨神社 南社 天忍日命 北社 大来目命
北末社 山王社 大己貴命
宇智社 天児屋根命
玉御前社 玉屋命
竹生島社 竹生島神=稲倉魂命
南末社 戸立社 手力雄命
振鉾社 天鈿女命
垂水社 岡象女命
天神社 菅原道真
◙御本殿三社
本殿は豪壮な大社造が三殿並んでおり、佐太大神をはじめ十二柱の神々をお祀りしています。
大社造りの三殿並立の社殿は神社建築史上特筆すべきものであり国の重要文化財に指定されています。特に向かって左の南殿は通常の大社造りの構造とはまったく逆の構造で他に類例を見ません。
現在の本殿は文化4年(1807)松江藩による御造営でその建築様式は戦国期の元亀年間にまで遡ると伝えます。この三殿並立の形態は平安の末ごろには成立していたのではないかと考えられています。
祭事暦
佐太大社御神事帳を始め、社記古縁起によれば当社の年中祭祀は75度あったとされますが現在は主な祭りとして以下のとおり執り行います。
●御座替祭[佐陀神能](重要無形民族文化財)
祭日 9月24日・25日
本殿三社以下摂末社のすべての御神座の茣蓙を取り替える祭で、古来より「佐陀の秘儀、重儀」といわれ、当社の数ある祭でも最も重要な祭で、年毎の遷座祭ともいえます。24日は茣蓙を清め神々を招祭するための七つの舞からなる「七座神事」、翌25日は御法楽として「式三番」「神能」を舞殿にて執り行います。
古くはこの祭に佐陀触下三郡半の神職・巫女が参集奉仕する慣わしで「役目能」といわれていました。この祭で舞われる神事舞が出雲國内をはじめ他の里神楽に大きな影響を与えたとされ「出雲神楽の源流」ともいわれています。これらの神事舞を「佐陀神能」と呼んでおり、国の重要無形民俗文化財にしてされています。
●神在祭
祭日 11月20日からW25日まで
旧暦十月、一般には神無月といいますが出雲國では八百万の神々がお集まりになることから神在月と呼んでいます。正中殿の御祭神伊弉冉尊が神去りました旧暦十月、八百万の神々が母神を偲び当社に参集されると伝え、祭の期間中は幟も立てず、神楽も上げぬ、厳粛な禁忌の祭であることから「お忌祭」ともいいます。殊に当社の祭は出雲國数社に伝わる神在祭の中でも最も古くから行われてきた祭でその次第も約五百年前の当社社記とほぼ同じ内容で今日に至るまで執り行われていることから宗教学、民俗学等
の面からも注目されています。
また、古歌に〝出雲なる神在月のしるLとて龍蛇の上る江積津の濱“とあるようにこの祭りには神々の先触れとして当社神領地の浜に龍蛇が出現し当社に納められます。古来より神秘とされ水難、火難を始め一切の厄災を除去し農作、商売、漁業等を守護する霊物として信仰されています。
なお、この祭りに神送りの日に神々に小豆雑煮をお供えし銘々もいただく風習があります。これを神在餅(じんざいもち)とい い、これが転じて「ぜんざい」というようになったとされています。松江藩の地誌「雲陽誌」【享保二(1717)年 黒沢長尚 撰】などいくつかの文献にも記述があることから当社は〝ぜんざい発祥の地〟ともいわれています。
●直会祭
祭日 5月3日
社伝によると垂仁天皇54年4月3日に豪壮な社殿を造り伊弉諾尊 伊弉冉尊の二柱を合祀し奉った時、勅使の参詣があったことを記念する祭で近郷諸所の祭礼の中でも有数の販わいを見せていました。古い武家の作法を遺す勇壮な所作で大杯に神酒をいただく杯式、古い舞楽の形を遺すとされる神子ノ舞・池田ノ舞・猿田三番ノ舞、などさまざまな神事が執り行われます。
文化財
佐太神社本殿三社並びに指図版 彩絵桧扇 龍胆瑞花鳥蝶文彩絵扇箱 色々威五十八間筋兜 色々威胴丸 色々威腹巻
(以上国指定重要文化財)
佐陀神能
(以上国指定重要無形民俗文化財)
蛭巻薙刀 大野太刀 舞楽面 鰐口 線刻十一面千手観音鏡像 着彩阿弥陀来迎図鏡像 御供台
(以上県指定文化財)
(神社パンフレットより抜粋) |
参拝月日 |
10/20/2008 |