鎮座地 |
〒183-0023 東京都府中市宮町3丁目1 旧武蔵国 多摩郡 |
電話 |
042-362-2130 |
旧社格等 |
官幣小社(現別表神社)
武蔵國総社
式内社 武蔵國多磨郡 大麻止乃豆乃天神社 |
御祭神 |
(主神)
・大國魂大神
(配祀)
・御靈大神
(配祀)
・天下春命 瀬織津比咩命 倉稻魂命 國常立尊 須佐之男命 稻田姫命 大己貴命 八意思金命 知知夫彦命
・天之御中主神 天照大神 素戔嗚尊 日本武尊 五十猛命 大日孁貴命 太田命 |
御由緒 |
武蔵総社大国魂神社略誌
一、由 緒
大国魂神社は大国魂の大神を武蔵の国の護り神として御祀りした社であります。この大神は、出雲の大国主神と御同神で、大昔武蔵の国を開かれて、人民に衣食住の道を教えられ、又医療法やまじないの術も授けられた御方で、俗に福神又は縁結びの神として著名な御方であります。
当社の創立は、景行天皇四十一年(一一一年)(約一九〇〇年前)五月五日で、当時は武蔵国造が代々神社に奉仕しましたが、大化の改新によって、武蔵国府をこの地に置かれたので、国司が国造に代わって奉仕するようになり、管内神社の祭典を行う便宜上、武蔵の国中の神社を一ヶ所に集めてお祀りしました。是が武蔵総社といわれる起源であります。なお左右の相殿に、国内著名の神社六所を合祀したので、六所宮と称せられるようになりました。
鎌倉幕府並びに北条・足利両氏も篤く崇敬しましたが、徳川家康が江戸に幕府を開くと共に殊に崇敬の誠を尽くし、神領地五百石を寄附せられました。明治維新に準勅祭社となり、同七年県社に、同十八年官幣小社に列せられました。
当社は昔より崇敬者が非常に多く、武蔵国は勿論関東一帯にわたり数十万に及び、毎年五月五日の例大祭には、夜間八基の神輿が古式の行列を整え、闇夜に御旅所へ渡御するので、俗に府中の「闇夜祭」といわれ非常に賑わいました。現在では神輿渡御は夕刻六時より行われております。
二、祭神及び神座の順序
本殿 一棟三殿
(向かって右)
西殿 六ノ宮 杉山大神(神奈川県横浜市緑区西八朔208)
五ノ官 金佐奈大神(埼玉県児玉郡神川町750)
四ノ宮 秩父大神(埼玉県秩父市番場町1-3)
中殿 御霊大神
大国魂大神
国内諸神
東殿(向かって左)
一ノ宮 小野大神(東京都多摩市一ノ宮1-18-8)
二ノ宮 小河大神(東京都あきる野市二宮2252)
三ノ宮 氷川大神(埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407)
三、社殿及び建築物
本殿 流造 銅板葺、総朱漆塗 二十六坪六合 東京都指定有形文化財
寛文七年造営、元は三棟三殿でありましたが、この時より三殿一棟に改められました。
拝殿 流造 切妻千鳥破風、銅板葺素木造 五十坪
明治十八年改築され、昭和五十三年改修されました。
平和記念参集殿 結婚式場を含め四九二坪
講和条約を記念して、氏子崇敬者の寄附により昭和三十四年落成しました。
廻廊(八十六坪) 明治維新百年を記念して作られました。
宝物殿 校倉造 鉄筋コンクリート二階建、百二十一坪、昭和四十九年新築されました。
四、主なる攝末社
摂社 宮乃咩神社 祭神 天細女命 例祭 七月十二日
例祭の夜、当社に於いて青袖の舞を奏し、終えて後本社へも参向して同舞を奏し翌朝杉の舞を奏します。
当社は演芸の神、安産の神としてあがめられております。創立は本社と同時代であるといわれています。
末社 松尾神社 祭神 大山咋命 例祭 九月十三日
寛政十二年八月近郷醸造家のために勧請されました。
末社 大鷲神社(住吉神社)例祭十一月酉の日(十月一日)祭神 大鷲大神(表筒男命他二柱)
元は武運を守護する神として信仰されましたが、現在では開運・商売繁昌・海上守護の神として信仰されております。
摂社 坪宮(又は国造神社と称します)例祭二月十五日 祭神 兄多毛比命
五月五日、御旅所へ神輿渡御の折、当社よりお供え物を奉る式は現在も行われます
所管社 八幡宮(国府八幡とも称します) 例祭 八月十五日 祭神 応神天皇
諸国府の所謂国府の八幡宮であります。聖武帝の御代の創立といわれております。
五、馬場大門欅並木(五二〇米余 史跡名勝天然記念物)
源頼義、義家父子が奥州征伐の途中、当社に戦勝祈願をし、戦に勝って凱旋の時、御礼詣りのため欅千株を植えました。
その後徳川家康が関ケ原、大阪の両役に際して、当社に戦勝を祈願し、且つ当社の馬市より、この両役に於ける軍馬を多く選出したので、両役の終了後、御礼のため又欅を補植して、この馬場を寄進しました。
(神社パンフレットより抜粋) |
参拝月日 |
05/19/2009 |