「式内社」貴船神社・奥宮(きふね) HOME blog

鎮座地 〒601-1112 京都府京都市左京区鞍馬貴船町180 旧山城国 愛宕郡  
電話  075-741-2016(本宮社務所)
旧社格等  官幣中社(現別表神社)
二十二社
式内社 山城國愛宕郡 貴布祢神社 名神大 月次新嘗
御祭神  ・高龗神
御由緒 貴船神社奥宮
 当地は、貴船神社が当初創建されたところで、当社の祭神も本宮と同様、雨や水をつかさどる神「高龗神(たかおかみのかみ)」である。
 社殿によれば、「反正天皇の時代(五世紀初め頃)に、玉依姫命(神武天皇の母)が黄船に乗って浪速(大阪)から淀川、鴨川、貴船川をさかのぼって当地に上陸し、そこに祠を営んで水神を祀ったのが当宮の起こりである」とのことで、地名及び社名の起源をこの「黄船」にもとめる説もある。
 境内の本殿横には、この伝説にまつわる「船形石」があり、これを積み囲んだ小石を持ち帰ると航海安全に御利益があるとされた。
 また、本殿下には巨大な龍穴があり、文久年間(一八六一~一八六三)の本殿修理の際、大工があやまってノミをこの中へ落としたところ、一天にわかにかき曇り、突風が起こり、ノミを空中へ吹き上げたという。
 この他、宇治の橋姫伝説や和泉式部の恋願成就など、当社にまつわる逸話は数多い。
 なお、当社境内周辺には昭和六十年(一九八五)六月に京都市指定天然記念物に指定されたカツラをはじめ、高木が多く見
られ、自然遺産の宝庫でもある。
                                    京都市
 (社前案内板より)
 
貴船と「鉄輪(かなわ)」伝説
 当社は古来より水ノ神として崇敬され祭神として高龗神を祀り、心願成就信仰としての、「丑ノ刻詣」で知られている。
むかし宇治の橋姫が丑の刻(午前二時)詣りをして男に呪いをかけた伝説があり、これをもとにつくられたのが謡曲「鉄輪」で、橋姫が頭にのせた鉄輪を置いた鉄輪掛石が叡山電鉄・貴船口駅の傍らにある。
 丑の刻詣りは祭神が国土豊潤のため、丑年丑月丑日丑刻に降臨されたと伝える古事によるもので、人々のあらゆる心願成就に霊験あらたかな事を示すもので、単にのろいにのみとどめるべきものではない。
                          謡曲史跡保存会
 (現地案内板より)

 貴布総本宮貴船神社略記
御鎮座 
 鴨川の上流、貴船鞍馬の山峡幽邃の地に鎮ります。神代の昔貴船山に御降臨、御社殿創建の年代不祥ながら、社記に凡そ1500年前とあり、第四十代天武天皇の白鳳6年(凡そ1300余年前)御社殿造替えが行われている。日本後記に、藤原伊勢人が東寺造営の任に当った時、霊夢に貴船大明神あらわれて、鞍馬寺建立の御託宣ありと記されている。第七十代後冷泉天皇永承元年七月水害、天喜三年四月(凡1000年前)現在地に奉遷し、元の処は奥宮として奉斎す。 
御社格 
 第五十二代嵯峨天皇弘仁9年大社に宣せられる。延喜の制には名神大社に列し、四度の官幣に預り、二十二社(皇室が特別大切にされた神社)に列す。祈雨八十五座の一として、奉幣には別に祈雨に黒馬、祈晴に白馬を添えられた。 
御神階 
 弘仁9年従五位下に叙せられ、霊験著しく漸次進めて、崇徳天皇保延6年には正一位に昇叙せられる。 
貴船信仰 
 水の霊威は実に広大にして、計り知れない。万物水霊を蒙らぬはない。平安朝時代からの朝野の尊崇極めて厚く、日照り、長雨、国家有事の際には必ず勅使(天皇のお使い)を派遣せられ祈念が捧げられた。尊貴の崇敬は全国一般にも及び、殊に治水関係者、農家、醸造家、染織家、航海者、料理飲食業、製菓業、浴場業、その他水商売の人々は厚い畏敬の念を以て信仰を捧げている。当社より御分霊を戴いておまつりしている御分社は全国府県に御鎮座、約五百社を数える。 
 (平成祭データ)
参拝月日  05/22/2010

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神門 本殿