「式内社」貴船神社・本宮(きふね) HOME blog

鎮座地 〒601-1112 京都府京都市左京区鞍馬貴船町180 旧山城国 愛宕郡  
電話  075-741-2016
旧社格等  官幣中社(現別表神社)
二十二社
式内社 山城國愛宕郡 貴布祢神社 名神大 月次新嘗
御祭神  ・高龗神
御由緒   由緒
御祭神は高龗神(たかおかみのかみ)。 水の供給を司る神。
 創建年代は明らかではないが、第十八代反正天皇の御世に奥宮の水の湧き出すところに社殿を建てたという御鎮座伝説がある古社。
 対岸鞍馬山の鞍馬寺は、平安初期の延暦十五年(七九六)藤原伊勢人が貴船明神の夢のお告げで建立したと諸書に出ているので、その当時すでに貴船の神は大きな力を具えていたことがうかがえる。
永承元年(一〇四六年)七月の水害で奥宮が被災、天喜三年(一〇五五)四月この地に本社を移築した。
 京都に都が開かれて当社は国の重要な神社となり、事ある毎に勅使(天皇のお遣い)が差し向けられた。
特に当社には日照りの時には黒馬を、長雨の時には白馬を献じてそれぞれ「雨乞い」と「雨止み」の祈願がこめられた。 「その数 数百度に及ぶ」とある。
 平安時代の勅願社二十二社の一社で、延喜式名大社。庶民の崇敬も篤く全国に二千社を数える分社がある。
古くは「貴布禰」と記したが「黄船」「木船」「木生嶺」「氣生根」などの表記も見られる。
 明治四年官弊中社となり、以後「貴船」の表記で統一された。
例祭 六月一日
 (境内由緒掲示板より)

貴船神社
 水徳神高龗神を祀る旧宮幣中社で、社名は古くは木船、貴布祢とも書いたが、明治四年(一八七一)以降「貴船」と改められた。
 平安時代延喜の制には名神大社という最も高い格式に列し、日照りや長雨が続いたとき、また国家有事の際には必ず勅使が差し向けられ、祈念が込められた。
 弘仁九年(八一八)以来の歴朝の奉幣、祈願では、もっぱら祈雨、止雨の神として崇められ、祈雨には黒馬、祈晴には白馬または赤馬が献ぜられるのが例であった。
 平安時代には賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社とされたが、明治以降独立した。
かつて社殿は貴船川に沿って上がったところにある現在の奥宮の地にあったが天喜三年(一〇五五)、現在地に移転された。
 本殿、拝殿、権殿等からなり、本殿は文久三年(一八六三)及び平成十七年(二〇〇五)に改修された。
また、境内には祈雨の行事を行った雨乞の滝、奥宮本殿の西には船形石と呼ばれる船の形に積んだ石塁がある。
 和泉式部がお詣りし、不和となっていた夫と願いがかなって復縁した話はよく知られている。
                                   京都市
 (二の鳥居案内板より)
 
 貴布総本宮貴船神社略記
御鎮座 
 鴨川の上流、貴船鞍馬の山峡幽邃の地に鎮ります。神代の昔貴船山に御降臨、御社殿創建の年代不祥ながら、社記に凡そ1500年前とあり、第四十代天武天皇の白鳳6年(凡そ1300余年前)御社殿造替えが行われている。日本後記に、藤原伊勢人が東寺造営の任に当った時、霊夢に貴船大明神あらわれて、鞍馬寺建立の御託宣ありと記されている。第七十代後冷泉天皇永承元年七月水害、天喜三年四月(凡1000年前)現在地に奉遷し、元の処は奥宮として奉斎す。 
御社格 
 第五十二代嵯峨天皇弘仁9年大社に宣せられる。延喜の制には名神大社に列し、四度の官幣に預り、二十二社(皇室が特別大切にされた神社)に列す。祈雨八十五座の一として、奉幣には別に祈雨に黒馬、祈晴に白馬を添えられた。 
御神階 
 弘仁9年従五位下に叙せられ、霊験著しく漸次進めて、崇徳天皇保延6年には正一位に昇叙せられる。 
貴船信仰 
 水の霊威は実に広大にして、計り知れない。万物水霊を蒙らぬはない。平安朝時代からの朝野の尊崇極めて厚く、日照り、長雨、国家有事の際には必ず勅使(天皇のお使い)を派遣せられ祈念が捧げられた。尊貴の崇敬は全国一般にも及び、殊に治水関係者、農家、醸造家、染織家、航海者、料理飲食業、製菓業、浴場業、その他水商売の人々は厚い畏敬の念を以て信仰を捧げている。当社より御分霊を戴いておまつりしている御分社は全国府県に御鎮座、約五百社を数える。 
 (平成祭データ)
参拝月日  05/22/2010

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二の鳥居 社殿全景